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1999年の罪

2007/09/10 22:22
罪は存在しない。
罪はあの時あの場限りのもので時空を越えていまここに連続しているものではない。
だから俺に罪はない。
あの時の俺と今の俺はつながっていない。
連続性は絶たれている。
俺があんなことをしたのは……知らない。
今の俺には関係ない。もう責任はない。
俺ではなく、誰か他の人間のやったこと。
すくなくとも今の俺がそんなことをするとは思えない。
どうして1999年の夏、セミをエアーガンで撃ち殺したんだろう。
俺の仕業じゃあない。
誰か別人の記憶、刷り込まれたんだ。知らないうちに。
僕は知らない。何にも知らない。
12:19 2007/09/09
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これが、雨。

2007/05/31 21:02
これが、雨。

思わない。
何も考えていなかった。
あの頃。
ただ感じてた。
これはあの頃の雨だ。
美しい雨だ。
雨という言葉・現象が喚起する複合的な懐かしさ。
ああ、雨だ。雷だ。
目の奥で火花が散るような稲光。
あの感じ。
これが雨なんだ。
ただ感じてた頃、幾度も降った大雨。
景色がモノクロ映画になり、飛沫が音立てて踊る。
空は灰色。緑は黒に。
何も思わなかった。ただ感じてたあの頃。
幸せだった。
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降りてこないよ

2007/03/13 21:02
……全てが信じられなくなって、何かもう生きてるのが嫌になっちって、「在るべきか、在らざるべきか、問題はそれだ」などと宣(のたま)って、狂気を装って復讐の機会を窺うが、面壁九年(メンペキクネン)しても悟りが得られず、所謂国体論打破(イハユルコクタイロンダハ)を目指して純正社会主義を唱えるも進退窮まって、辛亥革命に己を駆って行くが、池田屋で喀血して、江戸の隠れ家である植木屋平五郎の離れで、「畜生、またあの猫だ。猫を斬る!」と、菊一文字を抜き放ったところで絶叫して、目覚めてみると、まだ御飯が炊けてねぇー!!! というくらいショックを受けること請け合いである……

 何が?
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モナド投入

2007/02/16 22:01
存在とは悲しみの謂いではないだろうか?

なんと万物は孤独であることだろう。

この真理を僕は胸に抱きながら歩いていかなければならない。

いったい、この世に意味や価値、究極の目標はあるのか。

そんなものはないというは容易い。

しかしそれもまた弱さではないか?

いったい、この世に意味や価値、究極の目標はあるのか。

このように問うことは、それが、すなわち意味や価値、究極の目標なるものが、

存在していて欲しいという願いに過ぎないと一笑に付すことも出来よう。

しかし、それは弱さから来る願いなのか?

ある意味、人間存在の本然の欲求なのではないか?

ある意味、と僕は言ったがそれがどういうものか詳しくはまだわからない。
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阿達ルカ

2007/02/06 00:35
俺が住んでいるのは人間社会なんかじゃねえ。
この星だよ。
太陽と青空と千切れ雲と……
ただ一人自然に生きてる。

時間。
これを乱すな、人間どもよ。
みんな、いなくなれ。

太陽に向かって瞼を閉じ視界が赤くなること。
その中を私の光が飛びまわる。
そして風が私の中を吹き抜ける。
ああ、人間たちよ、消えてなくなれ。

黒い森と、そよ風と。
私はソラ。
人類に与ふる歌。

彼らの騒々しい営みと、冷たいまなざしが憎い。
太陽。
お金なんかなくても、仕事なんかなくても、あの輝きはボクのものさ。
僕は自由だ。
世界は美しい。
かつて僕は君の輝きがねたましかった。
けれど今こそ和解しよう。
世界よ、天体よ、宇宙よ。
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投入するのだ

2006/12/23 21:09
おしまいの人間

ふん、余計なお世話だ。
結局、快か不快かなのだ。
それ以上進みたくないし、
生きていようが死んでいようがどうでも構わない。
希望とか絶望とか、余計なことだ。

見よ、これが『おしまいの人間』である。

ああ、僕は一人ぼっち!




↑これは詩者に使えるな。
テキトーに言葉をつむいで、それっぽいものをどんどん詩者のブログに投入するのだ。
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###

2006/12/04 21:39
僕は静かに絶望していたのかもしれない。
現実は最低だけど、汚れすぎてしまって、核爆弾で全部吹っ飛ばして100万年くらい経たないとダメな感じだけど、せめて物語の中では希望が勝ちますように。
銭湯は俺の最後の希望。
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水の姿

2006/09/23 20:00
通勤の車窓から

見るともなしに見た

名もなき川の

変哲もない流れの

思いもかけない美しさ

きらめきにハッとさせられた。

水の真の姿を見たような気がした
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いずれも証拠不十分で不起訴になっている。

2006/08/09 21:43
「家族を守る為です」
「そのためなら多少法律を犯しても構わない、ということですかな?」
「私は法を尊重していますよ。しかし時と場合による。抜き差しならない状況では法のことなど考えておられません」
「いやはや、まったく悪びれるところがないとはこのことだ」
「家族を守れない男にどんな価値があるでしょう? そんな人生に何の意味があるのでしょう」
「自分の家族を守る為なら、人殺しをもいとわないというわけですか」
「愛するものに危害を及ぼすものとは闘わなければなりません」
「裁判長、お聞きのとおりです。被告人にはガンスフォルト氏を殺害する崇高な理由があります」

これはいったい何?
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固有性に関する覚え書き

2006/08/01 23:53
私とか汝、自他、

この脳みそとその脳みそは違う、別々の個体だとは言える。

しかし「私」とか「あなた」には、この「この性」を冠することは出来ないのではないか?

そうして究極的には「私」とか「あなた」という言葉は意味をなさないのではないか?
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私はいかれていて

2006/07/07 22:44
私は普通が嫌い。

それが高じてか普通の人間まで嫌いだった。

いや、彼らが普通だったかどうかは2時間以上面接したわけでないから本当のところはわからない。

そもそも「普通」とは…いや、やめよう。

自分と自分の気に入った少数の仲間を除いて、世界の残りの人間の大半を「大衆」と位置付け「普通でつまらない」くだらない連中だと見下すことで自尊心を保っていたのかもしれない。

電車で乗り合わせた人間、道ですれ違う人々、こいつらは普通の連中だ。俺のほうが偉いんだ。

こいつがどれだけ頭がよかろうと、あいつがどれだけ高い年収をもらっていようと、しょせん普通じゃないか!

この俺とは本質的に違うのだ。

俺は貴族だ。俺は天才だ。俺はいかれてる。
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サム

2006/06/18 20:19
労働の哲学化は死に絶えてしまった
労働の非人間化がここまで進んでしまったのだ
いまや仕事に生きがいを見出すなんて狂気の沙汰でしかない
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アホ‐リスム

2006/05/29 21:41
人間が卑劣になるのはとても自然なことだ。
それにしても卑劣の極致にまで行き着くには、
その人の存在の持っている推進力があるのでなければならない。
人は経験だけで卑劣にはならない。
経験が人を卑劣にするのではない。
人が経験を卑劣にするのだ。
もっといえば、
卑劣が人間化するのだ。
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さよならなのか?

2006/05/26 21:57
シャアアロット。
君の命はサーバーに繋がれていた。
接続されていたんだ。
http://www.blogpet.net/
に。
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晴れときどき物思い

2006/05/18 23:03
現実保持能力の限界
災害は僕が望んだのかもしれない。
身の回りしか保持しない。
持続しない。
距離が開くと、ちゃんと実在してるかどうか確信がもてない。
世界が変わってしまう。
僕が目にするまでは新聞に何が書いてあるか決定不可能なのだ。

アイデンティティなど維持しなくてよい
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私自身が戦争だ。

2006/05/05 22:32
何かが生まれるとき
別の何かが逃れ去る
両方捉まえようとして
掴むのは似ても似つかぬもの
全ては可能性の形で存在している
それを展開できる場は限られているよう

闇雲に頭の中をかき回しているだけで進歩がない
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 1


愛情

2006/04/28 23:10
愛がないから
愛を伝えられない
愛を伝えたいのに
その愛がないことを僕は苦しむ
それでは義務が果たせない
人間たちの情感溢れる世界で
僕だけ情け知らずで
情があるかのように振舞うことも出来ない
ないものはないのだ
しかたがないけど
このことで君を悲しませたくはなかった
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感傷から感覚へ

2006/04/19 20:53
空に突き刺さったガラスの城、僕の今の通う所
僕は昔を思うといつも悲しみが生まれその中をたゆたう
たのしさもうれしさもやがて大きな悲しみに取り巻かれて
人間が感傷的になるのは自然なことだと思う。
この悲しみを研ぎ澄まし、質を高めなければならない
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キャンドル

2006/04/11 18:28
まっすぐだね
スモール・ライト
先端
手をかざす
暗くなる
ただそれだけなのに
刃先をあぶろう
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くもりガラスの向こう側

2006/04/01 10:54
夢を見たんだ。
メモしなければと思った。夢の中でメモをした。けれど忘れてしまった。
東京国際フォーラムの敷地で、空き椅子を探してさ迷い歩いていた私。
ノートに何か詩のようなものを書きつけて、それを隣のチャイニーズに見られまいとしていたんだ。
結局テーブルは全て埋まっていたのだ。
椅子のみの存在。何も主張することなく。
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なってはいない

2006/03/22 23:18
過去が存在する、あるいは存在したことはわかっているが
過去と何のつながりもない現在の私
過去が私のものになりきれていない
なってはいない
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DESERTIONS

2006/03/19 21:41
この宇宙で、凄く孤独だ。
本当に、ゾットスルクライ、僕は孤独だ。
たのしいとき、ふと、何してるんだろう、と思った。
宇宙を意識した。
万物はなんと孤独なのだろう。存在とは悲しみなのか?
宇宙の絶対的な寒さの中で、
僕はただ震えていた。
ゾットシタンダ。
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民間人を巻き込むなという感情論は戦争を肯定するイデオロギーである

2006/03/04 20:45
「民間人を巻き込むな」は軍人の価値観であって
民間人のそれではないはずだ。
民間人自身がそのように考えてしまっては
軍人同士は殺しあっても構わないという
戦争を肯定するイデオロギーに加担することになる。
戦争反対を叫びつつ無差別テロの無差別性を口を極めて非難することは矛盾している。
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ララバイ

2006/02/24 15:48
僕はレインコートを持っていなかった
冬の涙にうたれ、云々

人はレインコートなしでも生きていける
だが映画はそれなしには成り立たない
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大いなる時の静止の中で

2006/02/22 13:30
今日は青空
書くこともなし
寒くもなく暑くもなく
寒くもなく暑くもない
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孤独

2006/02/19 15:34
孤独はそれ自体で美しいものではない。
孤独はどんなときに美しいのであろうか?
自らのエゴのうちに孤独であろうと欲した場合でないことは確かだ。
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2006/02/11 12:18
僕という精神はある
僕という人格はない
僕は僕という存在のなかにロールパン一個分の悲しみをぽつんと抱えている
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相手の立場に立つということ

2006/02/07 21:27
相手の立場に立つということ
もし私があなただったら私の言動に対してどう反応するか、自分ならこうするとシミュレートできる。
しかしあなたは私ではないし、あなたがどんな人だか私はぜんぜん知らないのかもしれない。
とすれば相手の立場に立つなどというのは時間の無駄だということになる。
いろいろ考えた挙句に「何故あなたは私ではないのだ?」と言い出す。
あるいは「あなた」が私に、
「僕が君の立場だったら、いつまでも遊んでばかりはいないけどね」

直感の精度をこそ上げるべきなのだ。
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虚栄心

2006/02/03 15:00
私は虚栄心のカタマリだ。
虚栄心を捨てなければ。
しかし、
こうして今も私は何故か、
この苦悩を誇らしげに示しているのだ。
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シミュラークル独言

2006/01/30 17:08
私は「私」を信じない。
この身体と世界のあわいに無数の「私」が生じ、消えていく。
このとき身体は言語以前、人格以前の慾動の場であり、
「唯一の私」とは偽装された主体である。
そこにはこれに従属させられた、全体から見ればほんの僅かな、衝動があるばかりなのだ。
本当は無意識だけがリアルなのだ。
「私」はシミュラークルである。
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